【八王子市】大久保長安の偉業は去年の浅川の反乱も救った!

八王子の町作りに辣腕を揮った代官頭の大久保長安の小説が、地元出版社「揺籃社」から出版されました。

大久保長安1

写真提供:株式会社清水工房(揺籃社)

大久保長安(おおくぼながやす、ちょうあん)は、猿楽師・大蔵太夫十郎信安の次男として1545年に奈良にて生まれました。父・兄と共に猿楽師として甲斐を訪れると、武田信玄に気に入られて、兄と共にお抱えの猿楽師となり、その後武士になった経歴を持っています。
猿楽(さるがく)と言うのは「能」の事で、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康も愛好していました。今で言う芸能人でした。

長安は信玄に気に入られ、役人として都市計画の仕事を任されました。八王子城が落城し、その城下町が東に移されることになった時に、甲州街道を整備し、その両側に横山、八日市八幡の三つの宿を移し、新しい「八王子」の町としたのです。

戦乱で八王子を離れていた人たちも新しい町に戻ってきました。今まで「八王子」と呼ばれた八王子城の城下町は後に「元八王子」と呼ばれるようになりました。
小門(おかど)宿(現在の小門町)には長安の陣屋が設けられ、関東十八代官とともに、八王子だけでなく関東の統治を行いました。牢屋もあり、警察の役割も果たしました。産千代稲荷神社がその跡地と言われています。江戸の守り口として旧 武田家家臣らを中心とした武士集団を組織、警備にあたらせました。八王子千人同心のはじまりです。現在の千人町には彼らの屋敷が立ち並びました。
江戸時代、交通網が整備され、主要な街道には一里塚が設けられました。甲州街道の一里塚のうち、八王子には新町の竹の花などに設けられ、新町の竹の花公園に市指定史跡として、竹の鼻一里塚跡が残っています。
また、度々たびたび氾濫して大きな被害を出していた浅川には堤防が築かれました。千人町・日吉町から新町の辺りまで続く大規模なものです。

昨年の台風19号の折、八王子市内を流れる浅川は氾濫しかけましたが、溢れる寸前で持ちこたえました。
400年前の大久保長安による治水工事が活きたといえます。

大久保長安1

画像提供:株式会社清水工房(揺籃社)

作者 山岩 淳氏

歴史を学ぶには、ストーリーを理解しやすいテレビドラマか小説、漫画がいいといわれる。

前作『乱世!八王子城』に続いて、八王子城の落城後、現在にまで残る八王子の町作りに辣腕を揮った代官頭の大久保長安を小説にし、紹介することにした。

代官頭として日本全国の金山、銀山を再開発し、徳川の財政基盤を作ったことで有名な人物である。 書中の時代背景、八王子の歴史、現在地との関連性などは、本文の中で説明してある。

難しい歴史用語、土地名、人名などはページの欄外に載せ、補足が必要な用語などは、章の区切りのいいところでまとめて説明してある。用語の意味の分かる人は飛ばして読んでも差し支えない。

八王子市民を初め、多くの人たちに、長安がいかにして町作りと徳川の財政基盤を構築したか、また、多くの人を動員してどのようにして金山・銀山を開発していったのかを知ってほしいと思う。

石見銀山から産出した銀は、当時、世界中に出回っていた銀の総量の三分の一を占め、世界の貨幣機能を担っていたという。 残念なことに、前作の北条氏照同様、長安も最後は悲劇の主人公になってしまう。余りにも権力が大きくなり過ぎたゆえか、長安の死後、子息七人が切腹させられてしまったからである。

ともかくも、この小説を読んで、八王子の市内に残る多くの史跡や遺跡を歩いていただき、歴史のロマンに浸っていただければ著者の望外の喜びである。

【大久保長安 家康を創った男】はAmazonでも取り扱っていますが、地元の出版社が発行した本は地元の本屋さんで買うと良いかも!

取り扱い書店

※上記以外の書店さんでもご注文いただければ1週間から10日でお取り寄せが可能です。

八王子のヒーロー中野さんも、長安さんについて語っています。

Feet and head

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