【八王子市】8月5日は裏高尾町の「いのはなトンネル列車銃撃事件」75年目の慰霊の日

いのはな(湯の花)トンネル列車銃撃事件(1945年8月5日)

第二次世界大戦、終戦間近の昭和20年8月5日八王子市裏高尾町(旧東京都南多摩郡浅川町)でその惨劇は起こりました。

戦闘機パブリックドメイン

USAAF – scan from Jeffrey Ethell: American Warplanes.写真はイメージです

八王子大空襲は8月2日未明に起きました。市街地の8割が焼失し中央本線も不通になり、懸命の復旧作業のおかげで8月5日に全面開通しましたが、そのため列車はとても混雑していたということです。浅川駅から発車した列車は橋を渡り、いのはなトンネルに差し掛かった時に、アメリカ軍のP51戦闘機の機銃掃射に晒され、40名以上が即死し、130名以上が負傷。そのほとんどが長野や山梨に行く一般人でした。戦時中の列車事故のため犠牲者の人数ははっきりしませんが、死者は60名以上と伝えられています。
いのはなトンネル碑

慰霊の碑の手前は、亡くなった方々を荼毘に付した日影沢の石を用いて、昭和25年に地元の青年団が建立した供養塔です。

いのはなトンネル説明

案内板

 

いのはなトンネル家

旧蛇滝茶屋(蛇瀧信仰講中の宿泊休憩所)

この地は江戸時代から小仏の関所の宿場町として栄えていました。
この建物は空襲当時には既にここにあり、遺体安置所になったとも、遺族の集会所になったとも、雨戸を外して犠牲者救助に活用されたとも伝承されている建物で、現存しています。

P51ムスタング

P51写真はイメージです

何を思って民間人で混雑した列車を狙ったのでしょうか?

戦火が酷くなり、地方に疎開に行く途中の少年少女たちの命も数多く犠牲になりました。

いのはなトンネル

このトンネルで悲劇は起こりました。

高尾から先の複線は1962(昭和37)年以降。煉瓦造トンネルの節々に欠けがあるのが空襲時の銃撃痕かもしれません。

自分も親も戦争を知らないという人も多いと思いますが、祖先はみんな戦争を身をもって体験しています。戦争について知らなくても、話を聞いたり読んだりして、次の世代に伝えなくてはと思います。

前の月、7月8日には浅川駅が攻撃され、現在のJR高尾駅のホーム屋根の支柱には機銃掃射による弾痕が残っています。高尾駅に行く機会があったら見てください。

参考・協力・写真引用© 2019 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝. いのはなトンネルの悲劇

いのはなトンネルはこのあたり↓

 高尾駅北口から京王バス小仏行きに乗り摺差(するさし)または蛇滝口で下車後 徒歩6〜8分

Feet and head

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