【八王子市】Dr.肥沼を知っていますか?八王子の偉人KOENUMAを悼み800個ものキャンドルが中町公園を埋め尽くします
八王子生まれの偉人、Dr.肥沼(こえぬま)の慰霊祭でキャンドルナイトを行います。
八王子市の中町公園にて、竹灯篭100個にろうそくを灯し、LEDライトなど800個の点灯をします。美しい光を観ると癒されそう。点灯にも協力してDr.肥沼のことを知って下さい。
日時:2024年3月9日(土) 午後5時から7時ごろまで
場所:西放射線ユーロード 中町公園
八王子市出身の肥沼信次医師は、第二次世界大戦後に伝染病で壊滅状態にあったドイツのヴリーツェン市で献身的な医療活動を行い多くの人々の命を救いましたが、自らも感染して37歳の若さでドイツで亡くなってしまいました。
1908年、八王子市中町で医院を開業していた家に生まれた肥沼信次は、自らも人々を救う医師の道をめざし、東京府立二中(現立川高校)を卒業後、日本医科大学から東京帝国大学(現東京大学)放射線研究室へと進み、1937年日本政府の国費留学生としてドイツに渡りました。
そしてドイツで研究に打ち込み、その後ヴリーツェン市伝染病医療センター初代所長を命じられ赴任、現地でチフス・コレラなどの疾病対策に力を尽くし、多くのドイツ市民の命を助けました。
ヴリーツェン市では今でも名誉市民として尊敬され、子ども達も学校でその偉業を学んでいます。
しかし、その情報はベルリンの壁のため遮断され、43年間も日本には伝わりませんでした。
Dr.肥沼の死が知らされたのは1960年になってから。家族の問い合わせに赤十字からの死亡通知が届きました。
そんな日本人にあまり知られていないDr. 肥沼を、八王子市の生んだ偉人として大切にしたいですね。
ドイツヴリーツェン市庁舎は、第二次世界大戦後に伝染病医療センターとして利用されていました。
肥沼博士はここで患者の治療に尽力していました。
市庁舎の入口には「終戦より翌1946年にかけて、この建物において日本人医師・研究者である肥沼信次博士が、チフス患者のための病院を開いた。博士は、ヴリーツェン市の職員をはじめとする多くの支援者とともに、あまたの住民や戦争難民の命を救った」との博士の功績を讃える銘板が掲げられています。
没後70年以上経ってもドイツではDr.肥沼を讃える声が大きく、2021年10月にはヴリーツェン市庁舎から肥沼信次のお墓へ通ずる道が「肥沼通り」(ドイツ語Dr.-koyenuma-StraBe)と名付けられました。
2017年7月10日、八王子市とヴリーツェン市は友好交流協定を締結し、Dr.肥沼を八王子市の特別顕彰者として表彰しています。
八王子市の中町公園には「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」の尽力によって顕彰碑が建立されています。碑の側面には、死の直前「桜が見たい」と、おそらく生まれ故郷の八王子を思いながら語っていたDr.肥沼悼み、可憐な桜の花が刻まれています。
3月9日の土曜日、八王子の偉人を偲び、竹灯籠から漏れる光に癒されに中町公園に寄ってみて下さい。
中町公園はここ↓
ドイツ ヴリーツェン市はここ↓
記事協力:Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会
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