【八王子市】あけましておめでとうございます。午年に、八王子の馬にまつわるあれこれをどうぞ

あけましておめでとうございます。
今年は午(うま)年。
八王子には馬にまつわる地名も多く、昔は物流や軍事に必要な馬がたくさんいたようです。
片倉つどいの森公園では、馬に乗りながら矢を射る流鏑馬(やぶさめ)が毎年開催されています。

画像提供:Npo法人武州のよりあい
「八王子」という地名の由来は、平安時代中期の延喜16年(916年)にさかのぼるとされています。伝説によると、妙行という僧が現在の元八王子町にある深沢山の麓に庵を結び、牛頭天王(ごずてんのう)と八人の王子を祀り、「八王子権現」と称したことが地名の起こりといわれています。
また、八王子周辺は古くから馬の生産地でもありました。平安時代、多摩川上・中流域には「牧(まき)」と呼ばれる牧場が点在し、その中でも「勅旨牧(ちょくしまき)」と呼ばれる朝廷直轄の牧では、馬の飼育や調教が行われ、毎年一定数の馬が朝廷へ献上されていました。八王子市域には、由比牧・石川牧・小野牧の三つの牧があったと伝えられています。

多摩動物公園のモウコノウマ
馬に由来する地名
八王子市内には、馬と深く関わる地名が今も残っています。
馬込・松木(美山町)
かつて鎌倉古道が通っていた地域で、馬の込場(馬を集める場所)があったとされています。「松木」は「馬次(うまつぎ)」が転じた地名といわれています。
馬場横丁(千人町二丁目)
甲州街道沿い、現在の山梨中央銀行付近から宗格院まで続く横丁です。江戸時代、この周辺には千人頭の馬場訓練場が設けられていたことから、この名が付いたと伝えられています。
陣馬街道と陣馬山
陣馬街道は、武蔵国と甲斐国を結ぶ重要な街道で、甲州や恩方の山の幸を江戸へ運ぶ役割を担っていました。八王子の追分交差点から陣馬山の和田峠を越え、現在の神奈川県藤野付近まで続いています。江戸時代には甲州街道の裏街道として幕府の管理下に置かれていました。
現在の「陣馬街道」という名称が都道名として使われるようになったのは1963年のことです。
陣馬山は、戦国時代に北条氏を攻めた武田氏が陣を構えたことから、もとは「陣場山」と呼ばれていました。その後、1960年代後半に京王電鉄が観光地として整備し、山頂に白馬の像を設置したことで、山の象徴として知られるようになり、「陣馬山」という名称が広く定着しました。

陣馬山の馬は富士山に向かっていなないているそう
戦国時代
由井領内では、戦国時代に「伝馬(てんま)」と呼ばれる交通・輸送制度が導入されていました。伝馬とは、人や物資を街道沿いに設けられた宿(宿場)から次の宿へ、馬で運ぶ仕組みです。北条氏は、領国内の主要街道沿いにある城下町や町場を一定の間隔で「宿」に指定し、伝馬の提供を義務づけました。
伝馬の実務を担ったのは、宿に住む町人、とくに商人や運送業者で、その責任者は「問屋」と呼ばれました。支城の城主は、宿の有力商人に問屋の権利を与え、伝馬制度の維持だけでなく、宿内で起こる争いや紛争の解決も任せていました。また、街道沿いでは市(いち)が開かれ、物流と経済の拠点としても機能していました。
滝山城の城下には、横山・八日市・八幡といった城下町がありました。永禄12年(1569年)10月24日の史料には、北条氏照が滝山城を攻めてきた武田軍に対し、「宿三口」に軍勢を配置して迎え撃ったことが記されています。この「宿」とは城下町を指し、「横山宿」「八日市宿」などと呼ばれていたことが分かります。
今年は八王子市内の馬に関する場所を歩いてみるのもいいかもしれませんね。
参考文献: 八王子市歴史文化基本構想「八王子の歴史文化 百年の計」

多摩美術大学に出現した馬
多摩動物公園の干支のイベント2026
多摩動物公園では、2026年の干支である午(ウマ)にちなみ、モウコノウマと家畜馬に関する企画展実施しています。
干支の企画展「もう、このウマ 知ってる?」
来年の干支は『午』です。当園の「アジアの平原」エリアには、野生の馬であるモウコノウマと家畜の馬である北海道和種を飼育しています。それぞれどんな特徴があるのでしょうか?
この企画展では、解説パネルや動画を通して、野生の馬と家畜の馬を紹介しています。
午年のお正月に馬を見に行くのも、幸せになれそうですね。
期間 2025年12月18日(木)〜2026年2月24日(火)
各日9時30分〜16時30分
場所 多摩動物公園ウォッチングセンター

多摩動物公園のモウコノウマ
本年も号外NET八王子市をよろしくお願いします。
陣馬山白馬の像はここ↓






